Oban
Oban2日目、もう少しここにいたいので、取り敢えず、一週間だけホステルで働けるかダメ元で交渉。意外とすんなりオーケーがでた。何でもやってみないとわからないものだね。なので一週間ここにいることに。そして衝撃の事実が…ルームメイトと話してたときに、シェンゲン圏の話になり、UKは協定を結んでないことが判明。実はさらに3ヶ月VISAなしで滞在できたみたい。本気でショック。帰りの飛行機キャンセルしようかとも考えたけどそこまでお金の余裕はないので帰ります。シェンゲン圏に3ヶ月滞在すると、6ヶ月は戻ってきちゃいけないんだって。
Mull island
Duart Castle
Tocosay Castle
Obanは天気が不安定。天気予報もあてにならない。誰かがいってたけど、“どんなに天気が悪くても、それに対応した服装さえしていればどんな状況でも楽しめる”って。確かにそうだと思う。なのでどしゃ降りでも大丈夫なようにレインコートをもってKilchurn castle(キルフゥーン)へ。スコットランドの地名はゲール語が多い。発音も難しいLochはロッホォ、湖。ゲール語をしゃべる人はロッホォって発音するけど、観光客とか地元のひとじゃない人はロックって言う人が多い。Kilchurn castleまではホステルから車で30分、バスでも電車でも行けるけどヒッチハイクで。思いの外時間かかった、出だしはよくて二台目のあとからなかなか捕まらない。一時間まってやっと捕まり。お城にいく途中のSt. Conan's Kirkまでつれていってもらう。教会をさっとみてここからは歩いてお城へ。お城に着いたのが4時頃で、段々暗くなってきてたから、お城の周りを少し散策して、Viewpoietへは行かずにホステルへもどることに。メインの道路にでて、ヒッチハイク。1分もかからずすんなりのれた!乗せてくれた人はこれからFort Williamにいくんだとか。この人いわく、この道はいつもは使わないんだけど、なんでだかこっちの道で行こうと思って、来てみたら私がヒッチハイクしてて、何か運命を感じて拾ってくれたんだって。車のなかでおばちゃんの若い頃の話をしてくれた。実は若い時ヒッチハイクでヨーロッパを旅してたらしい。やっぱり拾ってくれる人ってヒッチハイクの経験がある人が多い気がする。
あとこのおばちゃんスコットランドの伝統楽器の演奏者らしい。どこで伝統音楽聞けるのって聞いたらGlasgowにあるBen Nevis Pubは生演奏が聞けるからオススメだよっておしえてくれた。
おばちゃんのくるまで、オーバンの近くの町Connelまでいきここからはまた他の車へ乗り換える。
ヒッチハイクをしてたら運命的な出会いが!お城に行くときに乗せてくれた二台目の車が前を通り過ぎていった、で、ワザワザ戻って拾ってくれてホステルまで送り届けてくれた。実はこの人(Irene)とても親切なひとで、お城から帰るとき電話くれたら迎えに来るからって電話番号まで渡してくれたひと。私が電話できないことを伝えたら、じゃ明日空いてたら街を案内するって申し出てくれて、なので、ホステルにかえったら電話する気ではいたけど、帰り道でまた会えるなんて思わなかったから本当にビックリ。そして
最近見たドラマMiracle Workersが実際に存在してるんじゃないかとか思ったくらい、Craigがやってくれたんじゃないかなとか一瞬想像してしまった笑
Kilchurn castle
St. Conan's Kirk
次の日、Irene,John(旦那さん)そして犬のBreacがホステルまで迎えに来てくれて、Easdale islandがみえるEllenabeichまでつれていっていってくれた、Easdaleでは水切世界選手権を毎年9月に開催してて、この日は世界中から沢山の人が集まってくるらしい。
Obanの周りにある島に住んでる人は数十年前までは90%以上がゲール語を話していたこと、故ダイアナ妃のお母さんがこの近くに住んでいて、昔スーパーで、ダイアナさんを見かけたこと、60%以上のスコットランド人はBrexitに反対してること、イングランド人でスコットランドに移住する人達をwhite settler って呼ぶこと、あとIreneとJohnも昔ヒッチハイクで旅してたこと、案内してもらっている間、Obanの歴史やスコットランドの昔の話など色々な話しをしてくれた。それから昔Johnはキルトを履いてヒッチハイクをしてたんだとかその方が成功率が高いんだって!
それから、昨日偶然みてたテレビ番組のテーマが日本の庭園で、そこで枯山水と桜を見て、自分が18の時に学校を卒業して唯一やりたかったことは日本で生け花を習うことだったのを思い出したっていってた。
で、私と偶然出会って運命的な何かを感じたんだとか!なんか嬉しい!これでまたObanに来る理由ができたし、日本に是非来てもらいたい!そしたら喜んでホストするのに。
実は私もIreneに運命的なものを感じていた。
ニュージーランドのダニーデンにあるsettlers museum、そこに入植者の写真が壁一面に飾ってある部屋がある、そこが一番のお気に入りで暇なときはよく行っていた。Ireneのひいひいひいじいさんは新しい開拓地を求めてニュージーランドに移住したんだって、年代は1848年頃。ってことは写真の人達がダニーデンに入植した時代と同じ。もしかしたらあの写真の中に彼女の先祖がいたのかもしれない。とか勝手に思って運命を感じてた笑
日が暮れるまで色々案内してくれてホステルまで送り届けてくれた。
お礼に日本からの持ってきたお茶を渡したけど、もっとちゃんとしたもの渡したかったな。
今度はお母さん連れておいでって!
スコットランド人は本当に親切だ。
また近いうちに会いたい!秋にまた来たいな。
Clachan Bridge
https://antonyjwaller.wordpress.com/travel-articles/scotland/tigh-an-truish-the-house-of-trousers/
本土と島を結ぶ橋
1745年頃島から本土に行くのにキルト着用は禁止されていて、違反すると罰金だったとか。だからこの橋の近くにあるthe Tigh an Truish、 通称 House of Trousersってホテルでズボンに着替えて橋を渡ったらしー、で帰ってきたらまたキルトに着替えて家にかえったんだって。
あとキルトは男性だけじゃなくて女性も着てたとかIreneが小さかったときも着てたらしい。で着れなくなったら誰かにあげたり、もらったりもしてたらしく、自分の家のパターンしか着ちゃいけないってことはないみたい。